五七日(いつなのか)三十五日
今日は母の旅立ちから5週の35日目。
荒天が続き朝から2回の雪かきを余儀なくされた。
晴れ間を待って母へのお供え物を買い、祭壇のお花を変え、好物をお供えして法要を開始したのは夕方だった。

まだ、ふとした瞬間にベッドに寝ている母の気配がする時があり、ハッとしてその方向を見ると祭壇と微笑んでいる母の遺影に気づき我に返る。
たぶん、母の旅立が思い出になるのはかなりの時間がかかると思う。
入院してからたった2日で旅立つとは思っていなかったこと、症状の原因も判明し、治療がはじまったばかりで後は快方に向かうと思っていたこと、病院も療養期間は2週間程度と言っていたことなどが起因していると思う。
ただ、それとは別に、これで良かったのだとの思いもあることは否めない。
母が胃瘻を始めて在宅介護がはじまったのは2018年の4月から。
それまでは毎日、小規模多機能施設に通っていた。
昨日書類を整理していたら、通っていた施設の報告日報が出てきて、中には「時々涙ぐまれていました」という文章が何カ所か見られた。
施設に通っていた時も、言葉は出なくなっていたし意思の疎通も出来なくなっていた。
胃瘻を開始してからも、時々目に涙を貯めていた。
目じりから流れ出るほどではなかったけれど、何度も涙を拭いてあげたことがあった。
もしかしたら、母は思うようにならない体が辛かったのではないか。
もしかしたら、施設に通うことが辛かったのではないか。
もしかしたら、胃婁で食べることも飲むこともできない状態が辛かったのではないか。
母の最期は、体にCO2が増えて麻酔がかかったような状態になり、殆ど昏睡状態に陥り血圧も呼吸数も下がり、短時間で危篤に至り心停止となった。
死亡診断書には「老衰」と記されていた。
主治医から「苦しまず、静かな安らかな旅立ちでしたよ」と伝えられた。
でも、前日に母の手を握って「頑張って早く家に帰ろうね」と言った時の、大きく口を開けて精一杯呼吸をしている母の顔を思い出し、苦しかったのではないかとの思いが巡ってしまう。
しかし、これで母は辛さから、苦しさから、寂しさから、悲しさから解放されたのだとの思いも別に持っている。
そう思いたい自分の誤魔化しではないかとも思うけれど、そうであって欲しいとの願望でもある。
今日の三十五日は、閻魔大王の裁きを受ける日だと言われ、この裁きの結果により四十九日に生まれ変わる世界が決まるのだそうです。
たくさんの患者さんを看護してきた母には、きっと良い世界が決まると思います。
そんな思いをこめての五七日の法要でした。


