大晦日を迎えました
昨日は母を自宅に安置して一安心したのか、虚脱感に覆われて何か考えが纏まらず、気が付くと右往左往していました。
母の入院前夜から、睡眠不足と食事もあまり摂っていなかったせいか、体調が思わしくなく下痢が酷くなってしまいました。
気が付くと椅子に座ったままウトウトしてしまい、ハッと気が付き、母のオムツ交換の時間が、経管栄養が終わってたか、と慌てて母を探して母の安置祭壇をを見て我に返る繰り返しでした。

朝9時過ぎに窓を叩く音で覚醒し、慌てて玄関を開けたら、葬儀などで家を空けていた間の不在通知荷物の再配達でした。
中身は、母が酸素療法をしていた時にサーチュレーションを確認するために、その度に寝具を剥ぎ指にパルスオキシメーターを装着しなくてはいけなくて、リモートで確認できれば良いのにと思い探して注文した、スマホで数値を確認できて経過もグラフで表示できるというバルスオキシメーターでした。
今となっては不必要になってしまったものでした。

その後、またグズグズしてウトウトしてしまい、気が付くと夕方の4時過ぎになっていました。
今日になってから、水分も食事も摂らず、ただ眠ってしまったようです。
大晦日なのを思い出し、母が入院してからそのままになっていたキッチンの洗い物を片付け、病院から持ってきた母の着替えや薬関係などを整理して動き始めて覚醒しました。
母の安置場所を見ると微笑んでいる母が居ますが、声がけに答えることは以前から無いですが、息遣いが感じられて体温も感じる母と、それらが無い母の違いが空しくて嗚咽してしまいました。
一日中が介護と看護で占められていた自分の生活が180度変わってしまったことに、まだ実感が湧きません。
1週間に2回の燃えるゴミは、母の汚れもので40Lのゴミ袋が一杯になりましたが、これからは5Lでも大きいかもしれません。
キッチンでの洗い物も、経管栄養関係の洗い物も消毒もなくなります。
時間時間での体調チェックもなくなりました。
独りぼっちに慣れるには時間がかかりそうです。
7時過ぎから洗い物を済ませ、大まかな片づけをして、年越しそばの準備をしました。
母は、ここ3年以上口から何かを摂取することはありませんでした。
胃瘻からの栄養のみで、どんなに飢えたろうかと考えるとたまらなくなります。
渇きで水を飲みたいとどんなに思っても飲ませることができませんでした。
色々な味を欲したとしても、叶えてあげることができませんでした。
今日は年越しそばを母と一緒に食べようと、大盛で準備しました。
これからは、まず母にお供えし、私がお下がりを頂こうと思います。

母が以前のままだったら、年越しそばは作らなかったでしょう。
そういう意味では、母が好きだった色々なものを作ってお供えできることは、別な思いを生じました。
結局は自分が自分を納得させる思いかもしれませんが、少なくても今まで願っても出来なかったことが出来るようになります。

大晦日を母と共に過ごし、明日は母と共に新年を迎え、お雑煮と母の好物だった魚の煮つけをお供えしたいと思っています。
色々あったのでお節は用意できなかったので来年のお正月には絶対お節をお供えしたいと思います。
でも、
やっぱり、独りぼっちの大晦日と年越しは寂しいです・・・・・。


