葬儀が終わり母が帰宅しました

昨日の夜10時から今日の午前1時までの3時間自宅に戻り、母が帰って来た時の安置場所を整理しました。

5日前の金曜日から一睡もしないで2時間ごとの母の体調チェックをし、土曜日に検査、入院、治療開始。
日曜日には母の手を握って励まし、「明日また来るね」と言って帰宅し、翌日の朝から容体急変し11時20分旅立ち。

入院となった26日(土)の血液検査でもほぼ良好ででした。
白血球も8000で範囲内、CRPの炎症値も0.4で範囲内。
総じて数項目に高低はあるものの僅かな外れで、年齢から行くと問題ない数値だと言われました。
肺もきれいで、曇りひとつない状態。
ただ一つ動脈血中二酸化炭素濃度が異常に高くなってしまったこと。
高値の範囲が48mmHgなのに母の値は128mmHgwで、高炭酸ガス血症になってしまった。

重い認知症に加えて、胃婁を造設してからの2年半は寝たきりとなり、筋肉量も減りそのために筋力も低下、そして呼吸のための筋肉力も低下し、だんだん取り込む酸素量が減り体内の二酸化炭素の排出も悪くなった。
二酸化炭素が体内で増えると意識障害を起こし昏睡状態になってしまい、最後は呼吸もでなくなってしまう。

まさしく母はこの状態であったと思われます。

全身で呼吸をしようとする母は戦っていました。
自宅でも時々大きく肩を動かしながら呼吸をしていました。
一昨日の急な旅立ちは、母が負けたのではく、もうそろそろ良いかなと思ったのではないかと思っています。

ひとつは自分のために。
慢性硬膜下血腫で2回の手術、右肩の脱臼で整復不可とされ右腕の自由が奪われ、嚥下不良により栄養不足で30kgまで体重が低下し経管栄養措置となり、最後は在宅酸素療法を余儀なくなり、「ここまで頑張ったから母さんもういいよね」という意思。

もう一つは私のため。
「もうこれ以上苦労はかけないからね」との母の優しさ。

どちらも私にとって、自分を慰める考え方ですがそう思いたい自分がいます。
最期は、昏睡状態になったまま逝ってしまった母に確かめる術がありませんが、そう思うことで私は自分を慰めようとしているように思います。

あまりにも早く逝ってしまった母の思いは推し量るしかありません。

夜明けになって周辺の荷物を整理し車へ積み込み、6時から出棺前のお勤めを始めました。
母の顔を見れるのも、触るのももうすぐ出来なくなってしまうので、語りかけながら何度も何度も冷たくなった顔をなぜました。

8時15分、出棺となり市立の斎場へ向かいます。

20分ほどで斎場に到着し、最後のお参りをします。

お別れの部屋に、母と私と二人だけで、母に届けと心を込めて大きく力強く読経を始めました。
これが終わると母の火葬が始まってしまう。
少しでも長く、少しでも長くと読経を続けました。
9時の火葬開始が迫り、やむなく終了しました。

小部屋から出て、火葬のための炉に入る前に、お棺の蓋を開けて最後のお別れです。
さよならは言いたくなかったので、「お疲れさまでした」と頑張りを労い、「ありがとうございました」と感謝を言って、母の頭をなぜてあげ、母は炉の中へ。

こうして母は煙となって天に昇っていきました。

私に用意された控室はあまりにも広すぎて、独りでは勿体ないというより、より寂しさが増す広さでした。

大きいガラスの壁からは広い湾と停泊しているタンカーを見ることができました。

1時間20分後に案内がありお骨収集が始まりました。
私が独りだったので、斎場のベテラン職員がお手つだいをして下さり、10分ほどで母のお骨は箱に収まりました。
意外だったのは、お骨の中に慢性硬膜下血腫で手術した時の頭蓋骨の穴を塞いだと思われるものが見つかったことです。
左右2回手術をしていたので2個ありました。
こんなものを母は持ち続けていたのかと、改めて母の辛さを思いました。
もちろん骨箱には入れませんでした。

ほんのり温かく、まるで母の体温のようなその温かみを感じながら、母を抱いて車に乗りお葬式の式場に向かいました。

今回の葬儀は、コロナの感染防止のため家族のみで執り行うと各所に連絡をしていたため、参列してくれたのは友人一人でした。
家族葬として打ち合わせをしてきたのですが、思いの外素敵な祭壇となり、花が好きだった母が喜んでくれそうな祭壇になっていました。

本来は私一人と思っていたのですが、友人の思いやりで心強く「母を送る会」を執り行うことができました。
早々に自宅に母を迎え、自宅祭壇を用意して母を安置しました。

まだ左右にはベッドがあった昨日までの、介護用品や寝具、看護ケア用品のケースなどがありますが、今後時間をかけて整理して母の安置部屋を素敵にしていこうと思います。

これから初七日、四十九日、百か日と過ごし、来年の桜の咲く頃に満開の桜の中で納骨をしようと思っています。
それまではこの家で母と二人の時間が流れます。

今日の一日は母にとって満足してくれたか気になりながら、明日の大晦日を迎えます。