Prologue 忍び寄る始まりの時

始まりは何のことはないような物忘れだった。

キッチンの蛇口が開いて水が出っぱなしだったり、部屋の電気が点けっぱなしだったり、玄関のドアが開きっぱなしだったり。
それでも、それはごく稀なことだった。
しかしやがて回数が多くなってきて、様々な問題行動が出てくるようになった。
その度に戸惑い、叱ったり、怒鳴ったり、諭したりを繰り返し、ついには焦燥感がつのり手を上げるようになってしまった。

DVの始まりだった。

一度手を上げてしまうと際限がなくなり、段々とエスカレートしてしまう。
なぜトイレのドアを開けたまま用を足すんだ!と言っては殴り、また水道の水が出たままになっていると言っては殴る。
こんな簡単なことがなんでできない、なんで何度も言わすんだ!と怒鳴りまた殴る。

殴るたびに母の顔が歪む。

ごめん、これから気をつけるからと合わせる手を蹴飛ばしてまた殴る。
その内に口端から真っ赤な血が滴る。
その血を見てようやく我にかえる。

狂っていた・・・・・。

母にとっては地獄の日々だったろう。

外出をしていても気になる日々が続く。
玄関のドアを開けっ放しで徘徊していないだろうか・・・・・。
水道を出しっぱなしにしていないだろうか・・・・・。
トイレを詰まらせていないだろうか・・・・・。
部屋を便だらけにしていないだろうか・・・・・。

考えていると心が重くなる。

帰宅して危惧が現実になっていると心が折れる。
そして気がつくと母をど突き倒している。

母が悪いわけじゃないのに。
わざとやっているのではないのに
そう分かっているのに自制が効かなくなっている自分に嫌気が差す。

介護は戦いだとつくづく思う。

自分の心との戦いだと思う。

この戦いに勝たなければ、自分にも母にも落ち着いた日々はやってこないだろう。
たった1年で要介護度が1から4になってしまった母だけど、この1年は母なりに一生懸命生きていたのだと思う。

いずれは母のエピローグを書くことになるだろうけれど、母の一生懸命を残したいと思った。

何をどうしたら良いか分からずに、暗闇の中を手探りで歩いているような不安に襲われながら、何処かにある仄かな灯りを求めて過ごす日々を綴ってみようと思う。

母の頑張って生きた証を残すために。