二七日(ふたなのか)
今日は母の二七日。
2週間前までは今の祭壇の場所に母は居て、毎日の経管栄養やオムツ交換などを何時ものようにしていたのに。
日毎に母が遠退いていく寂しさに気が沈む。
色々と整理しなくてはいけないものが沢山あるけど、何から手を付けたらよいか迷う毎日で未だに母が入院した時のままになっている。
少しずつ書類の整理から手を付けていて、12月26日の入院時に渡された「入院診療計画書」を見直した。
推定される入院期間の欄には、「14日程度」と書かれていた。
この時は、まさか2日後に母が亡くなるなんて想像もしなかった。
原因が分かり、治療を開始したのだから2週間ほどで退院し、また何時ものように母のお世話が始まると思っていたが、その2週間後が今日の二七日。
母が経管栄養を開始したのが2年半ほど前の2018年4月。
経管栄養の量や摂取カロリーや投与間隔、水分の摂取量、排せつの量や質のチェックなど、注意しなくてはいけないことがたくさん考えられたので、管理表を作成し記録を始めたのが2018年4月20日。
途中で様式を3回ほど変更し、母の健康には最大限の注意をしてきた。
毎日の血圧測定、体温チェック、サーチュレーションなどのため、手首用血圧計(腕が曲がったままで腕では測定できなかったため)、非接触型体温計、パルスオキシメーター、咳き込んだ時のために吸引器、誤嚥して気道炎や肺炎になっていないか呼吸音を聞くための聴診器など考えられるものは揃えて管理してきた。
管理表のファイルは2018年4月20日から開始、1ページが1週間分で2020年12月26日の朝の栄養投与と2回のオムツ交換で終了となった。

2年と8か月の経管栄養から解放されて母は自由になった。
喉が渇き、味わいも欲しかったに違いないと思い、母の辛さ苦しさを思うと胸が張り裂けそうになる。
経管栄養により、健康を取り戻したら胃瘻は中止して口からまた摂取できるようになるだろう、それまで頑張ろうと自分に言い聞かせてきたけれど、結局は苦しみを延ばしてきただけなのではと思い悩む。
母は、頑張った。
そして逝った。
血液検査でも肺のCTでも異常が無かったのに急に逝ったのは、きっと、私に「そろそろ楽になっていいよ」と、そして「母さんもそろそろ楽したいな」ということだったのでは・・・と思おうとしたけど無理でした。
体温と息遣いが感じられることの安堵さ、心地よさは何物にも代えがたい。
それが無くなって2週間。
今日も独りでの法要を終え夜が更けた。


