悲しみは愛
毎日の3食を母にお供えすることを再開して感ずること。
・心に何かしらの安ど感が出てきました。
日々の介護・看護が無くなって、時間をどう使ったら良いか戸惑っていましたが、食事を作ることにより1日の生活リズムが取れるようになりました。
お供えの度にお骨になった母への声がけが、心に安らぎを与えてくれています。
・食生活が安定してきました。
食事を母にお供えし、そしてお下がりを頂く。
そんな日々が自分の食生活を安定させています。
こんなことが無ければ、食べたり食べなかったりや時間に関係なく食べたいものを口にする生活になったはずです。
母の四十九日で一段落とした3食のお供えを、また再開するまでは食事がいい加減になっていました。

亡くなった母への3食のお供えは、胃婁の開始から一切の食事を口にできなかった母への供養と思っているのですが、もしからした女々しいことなのかと思ったりもしていました。
最近になって、もうすぐやってくる東日本大震災の10年目で「あの日から」などのテレビ番組が多くなってきています。
先日テレビ番組で、この10年間毎日亡くなった息子さんに食事を作り続けているお母さんの紹介がありました。
テーブルを挟んで息子さんの食事を用意して、「さあ、ご飯だよ」と声をかけ食事を始める様子でした。
息子さんが生きていた時そうだったように、何時ものように普通に用意した食事のテーブルを囲んで一緒に食べる、その向かい側に息子さんが座っているようでした。
10年間毎日繰り返してきた事に、その度悲しみを新たにしたそうです。
10年間悲しみの中に浸り続けてきたことに、どう生きたらよいか分からなくなっていた時、ある人からかけられた一言に救われたそうです。
その言葉が「悲しみは愛」です。
「悲しみは愛」。
愛が大きく深いほど悲しみも大きく深い。
悲しみが続いていることは、愛を持ち続けていることだと言います。
愛する対象があることは幸せなことだと思います。
やがて時の移ろいが、悲しみを懐かしい思い出に変えてくれるだろうと思いますが、それは、悲しみが無くなりそして愛が無くなったことではなく、愛は不滅で悲しみが思い出に変化しただけで、悲しみだった思いの質量が変化はしないと思っています。
少しだけ悩むことは、最近メタボになりつつあることです。
BMI値は普通と肥満の間のギリでして、食事内容を変えなきゃと思っているのですが、母へのお供えはついカロリーや糖質の多いものになってしまっています。
何とかしなくては・・・・・。


